天が準備した 日本人の心 (仮投稿)
日本人とは、どこから来て、どこに行くのでしょうか?
それは、日本人は心の奥底で理解しているのです。
人の道を示すものに、天は宗教というものを作りました。
行くべき方向を照らして導くためです。
宗教というものは時代によって変わります。
古い原始的な宗教は、人としてやってはいけない事が記されています。
例えば旧約聖書では「モーセの十戒」として、その時代の「心の基準」に合わせて書かれています。
その時代に、イエス様のような「愛」を解いても通じなかったからですね。
現代においては、3(4)大宗教は、どちらかといえば、廃れ「個人主義」に落ちてしまった状況です。
19世紀から振興宗教が起き、世界は経済的に発展し今や地球の裏側でもすぐに通じる「地球時代」がやってきました。
本来であれば、「人の心」も科学の発展と合わせて成熟していくべきであるのが、天の願いだったのでしょうが、、
結果は利己主義と神否定主義(共産主義的思想)が蔓延してしまいました。
今、新しい時代が始まるというのが「世界の有識者の意見」ですが、なぜでしょうか?
世界では、宗教対立・民族対立・富めるものと貧者の対立・右翼左翼など一見外的なものに目を奪われていますが本質は何でしょうか?
民主的な政治形態の国でも、矛盾があり、独裁体制の国でも矛盾があるのです。
お互いがこちらが正しいと主張はしますが、決定出来ていないのが現実です。
武器を持って国益の為に戦う兵士はいつも「自己矛盾」に苦しんでいます。
有り余る「マネー」を持つ富豪も自分は不幸せだと感じているのです。
最後の戦いは、「利他主義」と「利己主義」の戦いとなります。
そのために、「天」が準備したのが「日本」という国なのです。
時代は、地球を一周して最終目的地「日本」を完結系として準備しました。
新しい時代は、人が心から幸せになる「利他主義」的なところから始まります。
人が目指すべき最終目的地はどこなのでしょうか?
山に例えるなら、宗教は山を途中から見せてくれる道しるべのようなものです。
右から見れば、「険しい山」にも見え、別の方向が見れば「暖かい山」に見える
山は一つなのに登り方で、まったく違う山に見える。
だから、宗教は対立してしまう。
心の基準(レベル)が上がれば、下のことはよくわかりますが、上は見えません。
日本という国は、宗教を超えて「天(または神)」の心の中と同じ基準で考える事ができるように訓練した国であり民族なのです。
これから、様々な事柄から解説していきたいと思います。